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  • 執筆者の写真支配人 トオルちゃん

ととのいの本質

林です。

近ごろ私は思っております。我々が普通に使っている「ととのい」ってのはサウナだけの状態ではないのではないでしょうか! 逆に言うとサウナのあの状態を「ととのい」って言い切った先輩(濡れ頭巾ちゃん)がまじ凄いって事でもあるんですけど!

言ってる事が分かりにくいと思うのでサウナにおける「ととのい」(私の持論ですが)を解説し直しておきます。

先ずは2種類のととのいから説明します。


「ととのいの覚醒」について

これは「ナチュラル・ハイ」と言い「やる気スイッチが入る」あるいは「ランナーズハイ」とか「クライマーズハイ」と同じ状態で軽いゾーンに入る事です。私は学者ではないので難しい事は分かりませんがドーパミンとかアドレナリンがなんちゃらってやつです。日常で100℃の温度帯にいる事ありますか?まずないですよね その状態を強制的に作ってそこに入るのですからある状況を満たせば人間の脳はその状態から身を守るためにナチュラルハイを提供してくれるのです。 スカイツリーの2倍の高さの螺旋階段を8時間で登って降りる(登山とはそういうものです)のに、あるいは42.195㎞のフルマラソンを走りきるにはこの状態を作らなければ不可能なのです。 この状態に入ったら120℃に入っても「気持ちいいぃ~」って言い出すのです。


「ととのいの可視化」について

上記のナチュラルハイは「ととのいの可視化」にとても大きな影響を与えます。ズバリこの状態は集中力がとてつもなく上がるからです。「ととのいの可視化」は「サウナトランス」と言い「ヨガの瞑想」や「仏教の禅」の様な状態(空⇒無⇒ボディサッタ)でかなり強靭なな集中力を必要とします。

ちょっと補足を入れさせてください。自分で書いてて「新興宗教」や「大乗仏教」の勧誘みたいに思えたりしちゃうかなって思ってしまいました。 私が言いたいのは「原始仏教」つまり「人間ゴータマさんが弟子に内面(心)の多幸感を説いた仏教」で「ととのいの可視化」が導き出すのがこの心や精神の多幸感だと言いたいのです。つまり可視化とは「心の映像が観えて その状態が多幸感を導く」そんな「ととのい」の状態が「ととのいの可視化」なのです。


それぞれに「サ道」レベルが違うのでこれ以上は個別の「サウナの話し」をさせて頂きたいので、ここでは先に進ませていただきますが、この「心の映像が観えて その状態が多幸感を導く」=「ととのいの可視化」には、その顔付きがあり、最近レベルの高い源泉(とぅるんやモールの不感源泉)に共通してかなり高い比率でいらっしゃいます。

つまり温泉に入った諸先輩の方々がおっしゃっていた「あ~ ゴクラク 極楽」ってのは我々が言ってる「ととのったぁ」と同じなんだって気がするのです。

この部分は私の中ではこれから追求していくところでもあり、楽しみでもあるのですが、もしも「そうだ、その通り」だとすると日本人は昔から「ととのい」を求めていたことになるのです。(いいぞぉ)

そして、もう一つ私には未経験の課題「フィンランドの方のととのい方」(フィンランドのゴクラク 極楽)が気になって仕方ないのです。

だから、「下田のケロ」の「サ旅」が私の近々の目標になっております。


湯~すけ  金城温泉の次はこことラッコちゃんだゾ!! 「手のひらポン!」


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